私がとっても好きで読んでいる「アナスタシア」シリーズには、
一人ひとりが祖国を取り戻す事が大事だと書いています。
アナスタシアは、仙人のような女性。
アナスタシアの言う祖国とは、≒
楽園的家作り。
自分で育てた果樹や森
自分で育てた野菜、
一緒に育った動物たち、
先祖が植えた木で作られた家。
アナスタシアおすすめは、1ヘクタール(約3000坪)に種々の樹を植えて、生垣を作り、
2/3を森にして、あとを畑や動物のための場所にする。
肥やしは、森の葉っぱ。
自分で育てた作物は、自分の体の薬になる。
そこで暮らすことで、動物も植物も木も、先祖の愛もすべてが、
愛の空間を作ってくれ、
守ってくれると、書いてあります。
そして、そこで子供も産み、死んだら、その土地に眠る。
そういう家作り。
私はこの話が大好きで、できるだけこのようにやっていきたいと常々思って来ました。
けれど現実は、あまりにアナスタシアの思い描く世界とは違っていて、私には一分とも祖国作りができていない。。。
土地は買えないし、
狭い土地には動物たちにやられるし、
動物は飼えないし
お墓は別の場所だし、
先祖が育ては木はないし。
それでも、気付いた。
この春の、桜を見て。
日本人、それなりに、これやってきてたな、って。
今見る、
古い美しい桜並木は、昔の人が植えてくれた。
今でこそ、3000坪は広大な土地だけれど、考えてみたら、田舎の祖父母の家の畑はそれくらいと聞いたことがある。
都心でも昔からのお屋敷は、1000坪以上ある。
また、50年ほど前の杉や桧の
人工林は、誰かの先祖が植えてくれたもの。
人工林は、問題になっているけれど、植えた当時に収益があるわけない。植えた先祖は、
子孫のために植えたはず。
種類が、偏りすぎたのが問題だったけれど、でも、
愛はあったな、って。
愛がある、って、そのことだけで、
希望。
桜並木も、人工林も、元は愛で、希望。
現実問題としては、今のこの狭い土地に家のみが立ち並ぶような感じの街並みから、
畑や森のある土地に暮らすように持っていくにはとっても時間がかかる。
もちろん、全部に一気に行くと考えるのは、急ぎすぎると思っている。
アナスタシアも、一般現代人代表の主人公であるメグレに
「あせらないで」と言っている。
それから、メグレがアナスタシアに、機械を使っちゃいけないと言うんだろ?と聞くと、
アナスタシアはそれを否定する。
機械も良いことに使えば善になると。
むしろ、良くない趣旨で生まれてしまった機械でも、善に使えば善になっていくと。
(私の記憶によればなので、完全に正確ではないです。何巻だったかな?
私はこの話をきいて、過去軍事目的で作られた「インターネット」が、今、世の中を変えていることが頭に浮かびました。)
そうなんだと思う。
あせって、世の中を性急に変化させようと働きかけるのも事をし損じるし、
文明の力を否定しすぎても、もったいないことなんだと思う。
私は、それで、自分の家も、お金も、森も畑も、何も持ってないけれど、借り物でもその中でできることは、細々とした
自分の手によるこだわりの家作り。
同時並行でそのうち、
畑や庭造り。
自分の家でないけれど、
愛を込めて一つ一つやっていけば、何か生まれるような気がして、そういうことを考えて、今、実行してるわけです。
世界平和! と叫んでも平和にはならない。
ニュースを見れば、すぐに不安に陥ったり、あせったり。
非力で何もできない自分に。
でも、プチ祖国作りが、もしかするとチョッピリだけ
地球を助ける一助になるかもしれない。
それなら、希望のある祖国作りをやりたいなって。
地味で、一見なんの力もないように見えるかもしれないけれど。
アナスタシアは、
「ダーチュニクが世界を救った」と言っています。
ダーチュニクとは、小屋に住んで、農薬など使わず手作業で自分たちが食べる分の小さな農園を作ったロシアの人々のこと。
手作業であったこと、農薬などを使わなかったことなどが、今まで散々傷ついた地球を、癒したと。
私が、時間もお金もかかっても、こうやって家を改修し続ける理由の一つは、
アナスタシアの夢に賛同してるからかもしれない。
精神的には、アナスタシアが、この古民家改修を支えてくれてるのかも。
なーんて思いました。